4/29(土)
週末の天候が久々に落ち着いたこの日、サーフ着4:30。
既に先行者3名。
皆さん、待ちわびていたのねぇ。
この日は所用があるため、6:30までの2時間が勝負。
まっ、居れば十分でしょう。
ところが、状況は良さげなれど、お魚さんからの反応は無し。
あっという間に2時間が経過し、すごすごと撤収いたしました。
以下はその日のその後の、私の行動です。
興味ない方は、スルーしちゃってくださいね。
私、生まれは埼玉県川口市です。
大学を卒業する22歳まで住んでおりました。
小さい頃から釣りが大好きで、ミミズや赤虫を餌にした小鮒釣りから始まって、
タナゴやヤマベ(オイカワ)釣りにも熱中していました。
そんな中、中学生になってからハマったのがヘラブナ釣りでした。
と同時に、釣り雑誌で、横利根川の存在を知りました。
少年だった私の心はとってもときめいたのでした。
頭の中には、大曲、西代、ベロといった有名ポイントが完全に記憶されていました。
西代(昔はニッチロと読んだ記憶があります)なんて、普通、 なかなか読めないですよね。
横利根川以外にも、新利根川、浮島新川、小野川、利根川草林、与田浦、北浦金上、などなど、私の頭には、その頃から佐原水郷の地図が完璧に出来上がっていたのです。
いつかはこの地で、思いっきり釣りがしたい、、、
そんな夢を見つつ、週末ごと近所の野池や釣り堀で腕を磨いていたのでした。
当時は釣り堀(今の管理釣り場ほど広大ではありません)が全盛の時代でした。
それでもお金がかかるのであまり行けませんでした.。
私のホームグランドは戸田市にある道満河岸でした。
当時の入園料は市営ということもあり、さほど高くなく250円くらい、4~5年後の学生時代で400円くらいだったと記憶しています。
※記憶はあいまいです。間違っているかもしれませんね。
家から5㎞くらいのところにあり、毎週末暗いうちから、友達と二人で自転車で通ってました。
時々、野良犬に吠えられ、その都度、全速力で振り切ったことを覚えています。
道満では、5kg釣り上げると銀バッジ、10kg以上で金バッジがもらえました。
これがとっても魅力的だったのですが、中々ゲットできません。
とにかく休日に釣果を上げるのが至難の業で、型を見られれば上等という状況でした。
めちゃくちゃ難しい釣り場で、この時に取得したのがオカメ段差釣り釣法でした。
それこそ夢中になって、消し込みアタリを拾っていました。
就職すると仕事の関係から、名古屋、北九州と20代を地方で過ごしました。
生活はギリギリでしたが、釣り具だけは一式、手元に置いておりました。
名古屋では、仕事に慣れた2年目くらいから釣りを再開いたしました。
少し離れた公園の野池がホームグランドでした。
ここでは道満で鍛えた技がものの見事にはまり、型は30cm止まりでしたが、何回も入れ食いを体験させていただきました。
その後北九州に転勤になり5年間暮らしましたが、2年後に転機が訪れました。
小倉駅近くにあった朱竹堂という釣具屋の親父さんと知り合ったのが幸運でした。
後で知ったのですが、この人、九州ヘラブナ釣り連合会の会長さんでした。
親父さんにはいろんな話を伺い、またいろんなところへ連れて行ってもらいました。
当時ハマったのが、主に山口県に点在する、秘境ダム湖の巨ベラ釣りです。
この地域では、40cmはおろか、あわよくば50cmが狙える釣り場が点在していたのです。
釣りクラブに所属させていただき、初めて連れていかれたところが山口県の豊田湖でした。
季節は乗っ込み前の3月と記憶しています。
既に浅場に魚が入っており、いきなり入れ食いを体験させていただきました。
いきなりのパンチは強烈でした。
もうっ、ダメですね。
完全にダークサイドに引きずり込まれてしまいました。
その後、半年くらい小遣いを貯め、折り畳み式のボートを購入しました。
今でもあるかどうかわかりませんが、ケンサクというボートです。
金額は6万円くらいだったと記憶しています。
これでようやく皆さんの仲間入りができました。
毎月一回の例会がますます持って楽しみになりました。
ダム湖での巨ベラ釣りの餌は、昔ながらのマッシュポテトが主流でした。
また例会での順位付けは5枚の総重量によるものでした。
5枚揃えられることはほとんどなく、一枚でも大型を掛ければほぼ入賞という感じでしたよ。
こんな運的な順位付けも、私には合っていたんだと思います。
在籍3年間における私の記録は44.4cm止まりでした。
山口県の大原湖というところで仕留めました。
50cm近いヘラブナは何度か目にしましたが、とにかく一回り以上デカく、巨大というイメージでした。
私にはとうとう釣れませんでしたが、そでれもこの3年間は、今でも至福の時だったと思えるくらい強烈に印象に残っています。
その後関東に戻り、埼玉県の越谷市で数年を過ごしました。
越谷時代も、近所に古利根川がありましたので、良く通っていました。
ただ、関東のレベルの高い、腕を競うスタイルにはなじめず、釣りグループには所属しませんでした。
そして、今から、16年前。
そうっ、現在住んでいる、鹿嶋市に仕事場と住居を移したのです。
当時は仕事を安定させるのに必死で、釣りなんてできる状態ではありませんでした。
そして生活が段々と安定していくにつれ、釣りを再開していきました。
いろんな釣りをやりながら、目の前がサーフということから、今の釣りにはまっていったのでした。
だって、高級魚が手軽に釣れるんですもの。
そして今日、その高級魚があまりにも釣れないもので、、、
突然、少年の記憶が蘇り、横横利根川沿いを歩いてみたいという欲望にかられました。
お母ちゃんと二人で大曲よりかなり上流部の橋までドライブ。
そこで車を降り、大曲、西代、最下流部の横利根閘門まで約4㎞ほどを歩いて川沿いを探索しました。
以下が当日の探訪ルートです。
佐原下手橋下流部
佐原下手橋下流対岸部
大曲上流部
上流より大曲第二カーブ付近
バス停裏
リサイクルセンター裏
釣り船店上流部
釣り船前
釣り船店前下流
横利根閘門
閘門前からK’s電気裏
ベロでの舟釣り
ベロ突き当りへ
それぞれ、ポイントの名称を記していますが、間違っていたらごめんなさい。
両岸は完全に護岸化され昔のイメージとはだいぶ異なりましたが、そこにはやはりあの横利根川の面影が随所に見られました。
釣りなどしなくても、いつまでも眺めていられますねぇ。
4㎞強のウォーキングは堪えましたが、子供のころの夢が実現した感動の1日となりました。
さあっ、5/3からの連休は、毎日サーフで頑張ろっと!
追記
長文となりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
ちなみに、5/3-57の釣行報告です。
最終日こそ雨に降られましたが、5連荘で釣行いたしました。
イシモチでもOKと思い、禁断のジグサビキまで投入、がっ、アタリは皆無。
まっ、例年この時期はこんなもんです。
また次週!
週末の天候が久々に落ち着いたこの日、サーフ着4:30。
既に先行者3名。
皆さん、待ちわびていたのねぇ。
この日は所用があるため、6:30までの2時間が勝負。
まっ、居れば十分でしょう。
ところが、状況は良さげなれど、お魚さんからの反応は無し。
あっという間に2時間が経過し、すごすごと撤収いたしました。
以下はその日のその後の、私の行動です。
興味ない方は、スルーしちゃってくださいね。
私、生まれは埼玉県川口市です。
大学を卒業する22歳まで住んでおりました。
小さい頃から釣りが大好きで、ミミズや赤虫を餌にした小鮒釣りから始まって、
タナゴやヤマベ(オイカワ)釣りにも熱中していました。
そんな中、中学生になってからハマったのがヘラブナ釣りでした。
と同時に、釣り雑誌で、横利根川の存在を知りました。
少年だった私の心はとってもときめいたのでした。
頭の中には、大曲、西代、ベロといった有名ポイントが完全に記憶されていました。
西代(昔はニッチロと読んだ記憶があります)なんて、普通、 なかなか読めないですよね。
横利根川以外にも、新利根川、浮島新川、小野川、利根川草林、与田浦、北浦金上、などなど、私の頭には、その頃から佐原水郷の地図が完璧に出来上がっていたのです。
いつかはこの地で、思いっきり釣りがしたい、、、
そんな夢を見つつ、週末ごと近所の野池や釣り堀で腕を磨いていたのでした。
当時は釣り堀(今の管理釣り場ほど広大ではありません)が全盛の時代でした。
それでもお金がかかるのであまり行けませんでした.。
私のホームグランドは戸田市にある道満河岸でした。
当時の入園料は市営ということもあり、さほど高くなく250円くらい、4~5年後の学生時代で400円くらいだったと記憶しています。
※記憶はあいまいです。間違っているかもしれませんね。
家から5㎞くらいのところにあり、毎週末暗いうちから、友達と二人で自転車で通ってました。
時々、野良犬に吠えられ、その都度、全速力で振り切ったことを覚えています。
道満では、5kg釣り上げると銀バッジ、10kg以上で金バッジがもらえました。
これがとっても魅力的だったのですが、中々ゲットできません。
とにかく休日に釣果を上げるのが至難の業で、型を見られれば上等という状況でした。
めちゃくちゃ難しい釣り場で、この時に取得したのがオカメ段差釣り釣法でした。
それこそ夢中になって、消し込みアタリを拾っていました。
就職すると仕事の関係から、名古屋、北九州と20代を地方で過ごしました。
生活はギリギリでしたが、釣り具だけは一式、手元に置いておりました。
名古屋では、仕事に慣れた2年目くらいから釣りを再開いたしました。
少し離れた公園の野池がホームグランドでした。
ここでは道満で鍛えた技がものの見事にはまり、型は30cm止まりでしたが、何回も入れ食いを体験させていただきました。
その後北九州に転勤になり5年間暮らしましたが、2年後に転機が訪れました。
小倉駅近くにあった朱竹堂という釣具屋の親父さんと知り合ったのが幸運でした。
後で知ったのですが、この人、九州ヘラブナ釣り連合会の会長さんでした。
親父さんにはいろんな話を伺い、またいろんなところへ連れて行ってもらいました。
当時ハマったのが、主に山口県に点在する、秘境ダム湖の巨ベラ釣りです。
この地域では、40cmはおろか、あわよくば50cmが狙える釣り場が点在していたのです。
釣りクラブに所属させていただき、初めて連れていかれたところが山口県の豊田湖でした。
季節は乗っ込み前の3月と記憶しています。
既に浅場に魚が入っており、いきなり入れ食いを体験させていただきました。
いきなりのパンチは強烈でした。
もうっ、ダメですね。
完全にダークサイドに引きずり込まれてしまいました。
その後、半年くらい小遣いを貯め、折り畳み式のボートを購入しました。
今でもあるかどうかわかりませんが、ケンサクというボートです。
金額は6万円くらいだったと記憶しています。
これでようやく皆さんの仲間入りができました。
毎月一回の例会がますます持って楽しみになりました。
ダム湖での巨ベラ釣りの餌は、昔ながらのマッシュポテトが主流でした。
また例会での順位付けは5枚の総重量によるものでした。
5枚揃えられることはほとんどなく、一枚でも大型を掛ければほぼ入賞という感じでしたよ。
こんな運的な順位付けも、私には合っていたんだと思います。
在籍3年間における私の記録は44.4cm止まりでした。
山口県の大原湖というところで仕留めました。
50cm近いヘラブナは何度か目にしましたが、とにかく一回り以上デカく、巨大というイメージでした。
私にはとうとう釣れませんでしたが、そでれもこの3年間は、今でも至福の時だったと思えるくらい強烈に印象に残っています。
その後関東に戻り、埼玉県の越谷市で数年を過ごしました。
越谷時代も、近所に古利根川がありましたので、良く通っていました。
ただ、関東のレベルの高い、腕を競うスタイルにはなじめず、釣りグループには所属しませんでした。
そして、今から、16年前。
そうっ、現在住んでいる、鹿嶋市に仕事場と住居を移したのです。
当時は仕事を安定させるのに必死で、釣りなんてできる状態ではありませんでした。
そして生活が段々と安定していくにつれ、釣りを再開していきました。
いろんな釣りをやりながら、目の前がサーフということから、今の釣りにはまっていったのでした。
だって、高級魚が手軽に釣れるんですもの。
そして今日、その高級魚があまりにも釣れないもので、、、
突然、少年の記憶が蘇り、横横利根川沿いを歩いてみたいという欲望にかられました。
お母ちゃんと二人で大曲よりかなり上流部の橋までドライブ。
そこで車を降り、大曲、西代、最下流部の横利根閘門まで約4㎞ほどを歩いて川沿いを探索しました。
以下が当日の探訪ルートです。
佐原下手橋下流部
佐原下手橋下流対岸部
大曲上流部
上流より大曲第二カーブ付近
バス停裏
リサイクルセンター裏
釣り船店上流部
釣り船前
釣り船店前下流
横利根閘門
閘門前からK’s電気裏
ベロでの舟釣り
ベロ突き当りへ
それぞれ、ポイントの名称を記していますが、間違っていたらごめんなさい。
両岸は完全に護岸化され昔のイメージとはだいぶ異なりましたが、そこにはやはりあの横利根川の面影が随所に見られました。
釣りなどしなくても、いつまでも眺めていられますねぇ。
4㎞強のウォーキングは堪えましたが、子供のころの夢が実現した感動の1日となりました。
さあっ、5/3からの連休は、毎日サーフで頑張ろっと!
追記
長文となりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
ちなみに、5/3-57の釣行報告です。
最終日こそ雨に降られましたが、5連荘で釣行いたしました。
イシモチでもOKと思い、禁断のジグサビキまで投入、がっ、アタリは皆無。
まっ、例年この時期はこんなもんです。
また次週!